何故ボクがホストを志すようになったか
- SHOTA ISHIBASHI
- 2019年4月3日
- 読了時間: 3分
ボクは親が看護師ということもあり、自然と医療系を目指すようになりました。
でも、ボクめちゃくちゃ頭わるかったんですねw
なので、何とか滑り込めた公立高校で介護福祉士になることを目指し、何とか取得することができました。
学校を卒業してからみんなほとんどが介護福祉士になったのですが、皆さんもご存知かもしれませんが介護の世界ってちょ~~薄給なんですねwww
ボクはこの生活は絶対に無理だと思って介護の仕事に就くことはしませんでした。
そのとき、冗談で高校の仲間と『介護施設を建てようぜ』って言ってたのをボクは冗談じゃなく叶えたい!と思いお金=ホスト!?みたいな安易な気持ちで当時超有名なアクアとゆうホストクラブに入ろうとバイトで貯めた50万を握りしめて大阪へ向かったんです。
まぁ、何も知らない19のクソガキですから。それこそお金の使い方を分かっていなかったし、土地勘もなければ人脈もない。
不動産屋の言われるがまま梅田にもミナミにもアクセスがいいということで京橋に部屋を借り、アクアに入ろうと思ったのにアクアは当時超人気店。電話すら取ってもらえず、アクアの近くがホストクラブの集まりなんだと思い込んだボクはたまたまあった北新地のホストクラブの門を叩きます。
そこがまぁしょーもないところでw
従業員は6人くらい。シンナー吸って出勤するような子供やら、従業員にバカにされまくってる店長やら。僕の求めていたホストクラブとはかけ離れていたんですねw
入店1週間くらいでまさかの経理を任され。1円単位で計算間違いしていたら趣味がクロスバイクでアスリートばりの代表の喧嘩キックが飛んでくるわ。(代表に蹴られるときは必ずクロスガードじゃないと破られますw)
オーナーは朝鮮人でエロサイトの運営で荒稼ぎした金で趣味でやっていたような店だったわで。
ヤ〇ザらしき人の出入りも多く『にーちゃんシーマ安く売ったんで(闇車やけど)』なんて絵に描いたようなスキンヘッドにグラサンのオッサンに煽られる、なんてこともザラ。恐ろしくて辞めようにも辞めれず。
そして、給料はというとそこの店は完全折半の店で、顧客を呼べばその日に50%バックとゆう店でした。
知り合いすらいないボクには相当厳しかったですね~w
仕事が終わったら会計処理を投げっぱなしにされて、事務所へ向かえば売り上げが低い、金が合わないで殴られ、張れた顔でスキンヘッドに笑われ、一通りオーナー連中の気が済んだら梅田にでてキャッチ。(賛否あると思いますが生きるために必死だったんでご勘弁を)
まぁでも想像してくださいよw
顏パンパンのヤツが博多弁でしゃべり掛けてくるんですよ?!
笑うでしょ普通w
女の子に声を掛けても方言でバカにされるし。
シカトなんかまだいい方で。
一番きつかったのは女の子が食べてたツナマヨを投げつけられた時でしたね。
服はほとんど持っていないのにツナマヨでドロドロ。
友達もいなければ、洗ってくれる彼女もいない。
バカだから50万のほとんどは家賃と初期費用に使っちゃって食べるお金もないから洗濯機をしばらく買えなくてコインランドリーで洗うんですけどね。
まぁ~泣けてきてねw
コインランドリーで鼻水垂らすぐらい号泣しましたねーw
まぁ今となってはいい思い出ですがw
続きはまた次回(^_^)
コメント